患者さんの感想(長文)2010/12

  • (タイトルをクリックして下さい。読みやすくなり、リンクが有効になります。)
  • 患者さんが、当院の感想を書いて下さいました。
  • 腰下肢痛で、仕事、生活に支障を来していましたが、当院に通院を開始して、症状が改善中です。
  • 慢性の痛みは患者さんの生活の質を著しく低下させます。そのような痛みに対して、院長はトリガーポイントブロック、歩行の指導、心療内科的対応、認知行動療法等、多面的な治療を行っています。
  • 本人の承諾を得て以下に載せます。(タイトルをクリックすると全文がでます)
  • —————————————————–
  • 「私の生きざまと痛み」
  • 1.坐骨神経痛発症
    • 左の坐骨神経痛が始まったきっかけは運動不足と思い、軽いスクワットをした後でした。そう言えば、1ヶ月位前から時々何かの拍子に左足がこむら返りに見舞われ、痛くてのたうち回ることが起こっていました。保冷剤で冷やすと良くなっていました。
    • 坐骨神経痛が始まったばかりの頃は、一日数時間激しい痛みがあっても、動いているうちに痛みがなくなっていました。けれど、少しずつ痛みが長くなり、数歩歩くと、左の殿部の中央の奥から大腿部の後ろを通ってふくらはぎ、そして外側の踝まで激痛が走り歩くことが困難になりました。
  • 2.治してくれる名医を求めて
    • 勤務先近くの整形外科医院では腰椎のすべり症と診断されました。鎮痛剤処方や神経ブロックをしていただきましたが、一向に良くなる気配はなく絶望的な気持ちになりました。腰を曲げて2~3歩歩き、休んではまた2~3歩歩きました。駐車場から仕事場までの数十メートルが何千メートルにも感じられる位長くて、歩くことに苦慮している様子から次第に周囲の人にも知られるようになりました。
    • 何とか早く治したい、朝目覚めたら良くなっていることを願いながら、眠りについていました。でも、朝目覚めると現実が待っていました。そのうち歯を磨く数分の間も立っていられなくなりました。その間、整骨院やカイロ、別の整形外科など誰か名医が治してくれないかとドクターショッピングを繰り返しました。どの先生も親身になって治療してくださいましたが治らず、結局休職してひたすら安静にしている日々を過ごしました
    • 夫のかかりつけの整形外科でMRI検査をしていただいた時、すべり症も脊柱管狭窄もないとの診断を受けました。私はこの時、私の痛みはすべり症や骨格が悪いからではなく、硬くなった筋肉が神経をしめつけているのではないかと感じていました。わからないながらMRIをしていただいた整形外科の先生にその話しをしたところ、私の話を良く聞いてくださり、「とりあえずトリガーポイントブロックをしてみましょう」と、殿部の1箇所にトリガーポイントブロックをしてくださいました。ブロックはとても良く効いて半日位効果があり、久しぶりに痛みのない時間を過ごすことができました。
  • 3.筋筋膜性疼痛症候群(MPS)とトリガーポイントブロックとの出会い
    • インターネットで石川県でペインクリニック(院長注 ペインクリニックでなく整形外科)を開業しておられる加茂先生ブログに出会い、そこで筋筋膜性疼痛症候群(MPS)とトリガーポイントブロックのことを知りました。そのブログで紹介されていた戸澤洋二著「腰痛は脳の勘違いだった 痛みのループからの脱出」(風雲舎)を読み、その壮絶な痛みとの闘いに思いきり共感しました。また、良くなって今は治療をしていない戸澤氏をとてもうらやましく思いました。
    • 私は以前、夏樹静子著「腰痛放浪記 椅子がこわい」を読んだことがあり、心因性の痛みの存在を知っていました。私の痛みも心に原因があるのではないかと思い、自分の気持ちに聞いてみました。もちろん思い当たる節は山ほどありました。仕事や家族のことなど次々と思い浮かんできました。約1か月ほど休職しましたが、良くなる傾向はありませんでした。ただ、休職したことで気力はほんの少し上向きかけていました。仕事は上司や同僚に迷惑をかけながら、なんとかやっていたましたが、次々と仕事をこなしていた時の3分の1程度の仕事しかできませんでした。創造的な仕事が必要な分野でしたが、全く手つかずの状態でした。それがまた、私を追い詰めました。春に発症してから時期は真夏を過ぎ、秋を迎えようとしていました。秋には娘の結婚式を控えており、それには間に合うだろうと高をくくっていた私は焦りました。結婚式は車で5~6時間かかる場所で行われることになっており、そこまでたどりつくことができるだろうか、笑って「おめでとう、良かったね」と娘に言ってあげられるだろうか、不安でたまりませんでした。3歩歩くと、立ち止まらなければならない状態は続いていて、到底そんなことはかなわない状態でした。
    • 結婚式の準備も何もしてあげられない母親のふがいなさを感じつつ、せめて出席だけはしたいという思いで一杯になりました。「よし、自分で何とかしなくては」と気持ちが前を向きました。「トリガーポイントブロックをしてくださる医師を探そう。」
  • 4.柏崎市内山整形外科医院 内山徹医師との出会い
    • JMPS筋筋膜性疼痛症候群(MPS)研究会のホームページと出会い、そこから新潟県柏崎市にある内山整形外科医院にたどりつきました。内山医院のホームページはある患者さんのブログとリンクしていて、その方の闘病日記を読むことができました。私ととても似ている印象を持ちました。何回も何回も読みました。でも、これまでのいくつかの治療法がことごとくうまくいかなかった経験は、私をどこか疑い深く臆病にしていました。数日は行動に移すことができませんでした。でも、娘の結婚式は近づき、とにかく痛みと折り合いをつけなければなりませんでした。「よし、だめもとで行ってみよう。幸いに職場から1時間以内で行けるところだ。」と思いました。今までの経過や願いを整理したメモを持って受診しました。思ったより地味な印象で古い町医者といった様子の医院でした。こじんまりとして懐かしい感じがしました。その日は予約なしで行ったので、多くの患者さんが待っていましたが、それでも1時間経過しないうちに診察していただくことができました。
    • 私が整理した経過をごらんになった先生は、「こんなふうに整理してもってきてもらうとわかりやすくていいんだよね。」と言ってくださいました。気持ちがほっとしました。簡単な経過の問診と痛みの部位の確認をしていただき、早速殿部、大腿部、ふくらはぎの数か所にトリガーポイントブロックをしていただきました。そして、歩くことを指導されました。「歩くことが筋肉をやわらかくすることができるのだよ。」と諭していただきました。私も歩くことの必要性を認識してはいましたが、3歩歩くと立ち止まってしまう状態の中で、痛みの強さは重大な病気であるというように思い込んでいました。さっぱりと「今の歩数を確認してそこから少しずつ歩くようにすること、3000歩位が目標だね。」と言われ、すぐに万歩計を購入し、痛くても気持ちを前向きにもっていき、少しずつ歩く歩数を増やして行きました。
    • 週2回の予定でトリガーポイントブロックを開始しました。最初の2回まではブロックをしても痛みはあまり緩和せず、ブロックをしてから2日目位に少し痛みが和らぐ程度でした。3回目のブロックを終了して2日後、かなり歩かなければならないことがありましたが、半日くらい痛みが緩和していて無理なくこなすことができました。「これから良くなる?」という感覚を初めて得ることができました。1か月後、間欠性跛行がなくなり、5000歩~7000歩、歩くことができるようになりました。鎮痛剤も一日1回程度になり、電車で2時間位のところへも行けるようになりました。
    • 私の一番の目標だった娘の結婚式にも出席し、花嫁の母としての役割を果たすことができました。けれど、自家用車で往復したためずっと座り続けたこと、娘をとつがせてしまった嬉しさと同時に喪失感は心理的にダメージとなりました。帰宅してから、以前のように歩き始めると殿部中央からパーンと張りはじめ脚の付け根、大腿後面、ふくらはぎに激痛が走り、歩くのに苦痛を感じました。おそらく無理をしているから、きっとおかしくなるかもという気持ちが良くなかったのだと思います。ブロックを今後1週間に1回にする予定でしたが、すぐに内山先生に長い針でのブロックをしていただきました。そして、「でも、行ってこれたなんてすごいことだよ。」と言っていただけたこと、これで逆もどりになるというような言葉は全くでなかったことでとても安心できました。通院は現在2週間に1回で済むようになっています。痛みが完全に逆戻りにするかと思っていた私にとっては、本当に嬉しいことであり、ありがたいことでした。
  • 5.私の生きざま(生き方)と慢性疼痛
    • そもそも、私が坐骨神経痛(この病名も正しいかは、今となってはわかりませんが)にさいなまれ、慢性疼痛化してしまったのはなぜだったのでしょうか。もともと、骨格系が丈夫ではありませんでしたから、バランスが悪く、どこかに無理がかかっていたのだと思いますが、最近、職場がかわりようやく仕事にも慣れてきた矢先のことでした。「なんで、私だけが、どうして」痛みとともに心が痛みました。
    • 内山先生にいただいたプリントの「痛みを呼ぶ脳の7大悪習慣」は全てあてはまりました。「①いつも痛みのことを考え、②動くと痛いので外出(買い物さえも控えた)しない、③最近熱中できることなんかない、④こんなになったなんて自分は不幸なことばかりおこるんだ、⑤この痛みをとってくれる名医がいるはずだ、⑥誰も自分の痛みをわかってくれる人なんていない、⑦痛みは重大な病気のサインだ」と思っていました。
    • 新しい環境に慣れるために少し無理をしたのかもしれません。こんな私の生きざまの歪みがからだに反映されたのだと思います。遅い食事、疲れてつい炬燵でうたたねし、夜中にまた仕事をするといった生活と除雪にあけくれる今年の新潟の冬はとても心と体にこたえていたのだと思います。弱い自分を自覚することは、本当に辛いことでした。
  • 6.永田勝太郎著「痛み治療の人間学
    • 内山先生はよく痛みに関する著書を紹介してくださったり、貸してくださったりします。永田勝太郎著「痛み治療の人間学」を最近貸していただき、読みました。永田先生は「医師の持つ価値観は、病気の原因を追究し、病院を特定して、それを除去して治療しようとするパソジェネシスが中心であり、患者はまず、健康でありたい、健康を取り戻したいというサルトジェネシスがベースにある」と述べています。まさにその通りです。私の生きざまの歪みが慢性疼痛を引き起こしたのであれば、その生きざまさえ利用して健康を取り戻すことがサルトジェネシスであると理解しました。
    • 内山先生にトリガーポイントブロックをしていただいたことは、治療の原則である第1のステップ:「今、患者を苦しめている痛みを速やかに解放」していただいたのです。そして、先生から歩くことをすすめていただく、さまざまな著書を紹介いただく、ゆっくりやっていくことのすすめ、結婚式に出席という目標を終えたら通常の生活ができることを目標にすることのすすめ、など、私という人間性に働きかけていただいていることは第2のステップ:「患者の痛みの全人的理解」でした。あとは第3のステップ:痛みのセルフコントロールに私自身がのぞんでいかなければならないのだと思います。
    • いまだ、痛みから完全に解放されたわけではありません。完全に治癒することはなく、私の痛みとの付き合いは続くと思います。けれど、今は「痛みに支配はされない」と思えるようになりました。今までより、思ったことは口にするようにしたい、楽しいことを考えたい、仕事は思いきりするけれど身体のことも考えたい、そして5000歩以上歩き続けたい、こんなことを心がけていきたいものです。
  • 7.やまいを通した人との出会いに感謝
    • 内山先生には感謝しても尽くしきれません。激痛を取り除いていただいたことは、再生への第一歩でした。内山整形外科は待ち時間がありません。むしろ、トイレを利用する時間がないほど、早く中待合へと呼ばれます。同一姿勢で待っていることは、患者にとって痛みを増幅します。往復に時間がかかってもとても有難いものです。師長さんはじめ、受付の方々もことさら近寄り親切にという態度はなさりませんが、さりげなく見守ってくださり否定するということがありません。痛みがあること自体、何かに否定されているに感じている患者にとっては、この否定されないということは重要なかかわりのように思います。やまいにならなければ、出会わなかった人がいます。そうした出会いに感謝できるようになったことに感謝しています。
広告

About this entry